www.kyoto-np.co.jp/local/article/20110628000111
「エネルギーの地産地消」山田知事が推進方針
京都府の山田啓二知事は28日の府議会代表質問で、東日本大震災で大規模発電所による電力供給体制が揺らいでいる事態を踏まえ、地域の電力需要を地域の電源でまかなう「エネルギーの地産地消」に向けたモデルづくりを、関西学研都市で進めていく方針を明らかにした。
現在の電力供給体制は大規模発電所が中心となっている。しかし全国で原発が再稼働できず電力不足が深刻化している事態を受け、小規模な発電設備を各地に整備する「分散型電源」の必要性が指摘されている。
山田知事は京丹後市や府南部の学研都市で、太陽電池やバイオマス発電で生み出した電力を地域で効率よく利用するエネルギーの地産地消実験に取り組んできたことを挙げ「(取り組みを)一歩先に進めることができる」と強調した。
そのうえで学研都市に太陽光発電や省エネ設備、次世代型の送電網を整備し、植物工場も組み合わせることで「エネルギーから食糧まで地産地消できる21世紀型の都市ができないかと検討している」と述べた。
具体的な方策として、国が8月に募集する国際戦略特区に大阪府や兵庫県と共同申請し、再生可能エネルギーの普及につながる規制緩和を求めていく考えを示した。再生可能エネルギーは採算面で厳しい現状があり「(つくり出した電力の)全量固定買い取り価格制度の推進が大きく望まれる」とした。
【 2011年06月28日 22時01分 】
「エネルギーの地産地消」山田知事が推進方針
京都府の山田啓二知事は28日の府議会代表質問で、東日本大震災で大規模発電所による電力供給体制が揺らいでいる事態を踏まえ、地域の電力需要を地域の電源でまかなう「エネルギーの地産地消」に向けたモデルづくりを、関西学研都市で進めていく方針を明らかにした。
現在の電力供給体制は大規模発電所が中心となっている。しかし全国で原発が再稼働できず電力不足が深刻化している事態を受け、小規模な発電設備を各地に整備する「分散型電源」の必要性が指摘されている。
山田知事は京丹後市や府南部の学研都市で、太陽電池やバイオマス発電で生み出した電力を地域で効率よく利用するエネルギーの地産地消実験に取り組んできたことを挙げ「(取り組みを)一歩先に進めることができる」と強調した。
そのうえで学研都市に太陽光発電や省エネ設備、次世代型の送電網を整備し、植物工場も組み合わせることで「エネルギーから食糧まで地産地消できる21世紀型の都市ができないかと検討している」と述べた。
具体的な方策として、国が8月に募集する国際戦略特区に大阪府や兵庫県と共同申請し、再生可能エネルギーの普及につながる規制緩和を求めていく考えを示した。再生可能エネルギーは採算面で厳しい現状があり「(つくり出した電力の)全量固定買い取り価格制度の推進が大きく望まれる」とした。
【 2011年06月28日 22時01分 】
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cargo-news.co.jp/contents/code/110628_2
「シナリオ通りにはいかなかった緊急支援物資の輸送」=染矢技総審
国土交通省の染矢隆一技術総括審議官・物流担当は20日、専門紙記者会と会見し、東日本大震災の物流分野の対応、救援物資輸送の状況を説明した。その中で、「緊急救援物資の輸送では1次集積所、2次集積所、避難所という流れを想定したシナリオ通りにはいかなかった」として「物流管理の手法を取り入れた体制が必要だ」などと語った。会見での発言要旨は次の通り。
《大震災における物流部門の対応=緊急支援物資の輸送》
今回、緊急支援物資についてはおそらく初めてだと思うが、国(政府)が物資を調達するという仕組みが執られた。そのもとで、国交省は輸送を請け負うという体制で行われ、基本的にはトラック輸送で、自動車交通局貨物課が全ト協に輸送協力を要請するという形で緊急支援物資の輸送を行った。毛布から始まって、食料、飲料水など、いろんな物資が被災地の避難所に運ばれた。
届けた個所(1次集積所)は2032ヵ所の集積拠点。食料品が1898万食、飲料水が460万本のほか、いろんな生活支援物資が運ばれた。政府全体の発注分に占める割合はどのくらいを占めているかを見ると、食料は72%、飲料水が58%をトラックが輸送を担当した。やはり、トラック事業者の貢献は大きかったし、トラック輸送能力の高さ、その機能の柔軟性などトラック輸送の機能がいかんなく発揮されたと思っている。特に、今回は地震と津波で物流インフラも被害を受けたが、幸い、高速道路は地震の翌日3月12日には緊急車両の通行が可能となり、元々のインフラ、緊急物資輸送路が確保され、トラックの強みが発揮できたことは大きい。その一方で燃料がなくて困ったという現象も起きた。
《緊急支援物資の集積所から避難者への末端配送では》
もうひとつの課題として浮かび上がったのが、対策の途中で表面化した支援物資が避難している方々にまで届かないということだった。被災地の集積地までの幹線部門は合理的に運ばれたが、集積地でとどこおり、末端の仕分け・ピッキング、配送が課題として指摘された。避難している方々に届かないという問題だった。この問題は、やはり、物流専門家が中に入っていなかったためそういう問題が出てきたものだ。そこで、東北運輸局に頑張ってもらって地方のトラック業者や倉庫業者、県、市、自衛隊などが間に入って調整する仕組みをつくってもらった。それ以降、うまく動くようになったと思う。
国による調達、輸送の発注は4月20日で止まっており、以後、連休前後で国が調達するという体制は終わっている。現在は、災害救助法に基づき県が調達して物資を輸送するということになっている。いずれにしても、今回の大震災ではトラック事業者が本当にうまくやっていただいたと思っている。
また、鉄道も燃料油の輸送では相当の量を運んでいる。コンテナも通運連盟が無償で運んだものが382個。海運でも様々な物資を運んでもらっている。
《燃料油の確保対策》
また、被災地への緊急物資輸送では油槽所などが被災し、トラックで運びたいが肝心の燃料がないという事態が表面化した。これは、地震と津波の両方の影響があったが、その中でも、津波の影響が大きかったと思う。東北地方で消費される油の92%は船で運ばれていた。しかし、津波の影響で太平洋側の油槽所が甚大な被害を被った。このため、東北地方の燃料油不足に影響した。太平洋側が津波でやられたので日本海側から山越えで油を運ぶため、酒田、秋田、青森にもタンカーが入って、供給するという体制で臨んだ。
元々、東北では山越えで油を運ぶというものがなかったが、事態が改善し始めたのはまず、郡山に向けて磐越線経由でJRが石油を運び、青森経由で盛岡までこれもJR貨物が運び始めて大量の燃料油が供給されるようになりある程度息をついたと思っている。抜本的に改善したのは3月21日に仙台塩釜港の航路が再開され、そこから油が入るようになったのが大きかったと思う。そこが基地になって一気に解決に向かったと思う。
今回の震災を受け改めて思ったのは、やはり燃料がなければ市民生活、産業活動が成り立たないということだ。今回も限られた油の中で緊急物資輸送として燃料輸送をしたが、これからも、こうした供給体制はきちっと皆さんの了解を得て仕組みをつくっていくことが大事だと思う。また、どこの給油所で給油できるかという情報も提供したが、一部では「あそこに行けばあるらしい」という情報が流れ、他地区の人が来て、一時混乱したということもあった。やはり情報の流し方も、これは資源エネルギー庁の管轄になるが今後の課題だろうと思う。
《物流施設の被害状況》
営業倉庫の被害も宮城県に集中した。施設の全壊が全体で56件あったが、そのうち49件が宮城県。一部損壊も全体で659件あったが、そのうち159件が宮城県の事業者の施設であった。荷崩れ被害は関東を含め広範囲にわたっており、全体で826件に達した。そうした中、宮城県の倉庫協会は県と緊急物資の輸送・保管協定を結んでいたので、被災後直ちに、自らも被災していた東邦運輸倉庫が救援物資の輸送を積極的にやってもらった。
また、東北地方に5つあった公共トラックターミナルも被災した。このうち、仙台港流通ターミナルは津波によって全壊したが、他のターミナルは大きな被害はなくあまり間をおかずに再開することができた。そうした中、壊滅的な被害を被った仙台港流通ターミナルは一部改修したばかりであったが今後どうするかの検討が必要になっている。
《大震災で再認識させられた課題と教訓》
今回の緊急支援物資の輸送では、善意の荷物が被災地の貨物集積地にたくさん到着したが、被災者のもとへ届かないという事態が指摘された。これは、的確な情報がないといけないということだ。情報をもとに、的確な仕分けなどを行うことが必要だが、それを解決する手段として、物流の専門家の活用が必要だということが再認識させられた。物流専門家には蓄積されたノウハウも豊富で、フットワークもある。物流の専門家が入って緊急物資輸送を行うのが、災害時のカギになる。
支援物資輸送についての課題としては、時間の経過とともに課題が変っていったということを強く感じた。
まず、震災が発生した直後では、交通インフラが全部やられており、被災地へ入る道路がない。燃料もないので走れない、情報網が寸断されていて地震発生後、1週間から10日間は、どこに何をどれだけ運んだらいいかということが分からないという状況だった。1週間ぐらいはモノそのものも足りなかったが、1週間後には、モノはあるがそれが避難所に届かない状態だった。
救援物資は県の1次集積所、市町村の2次集積所を経て、避難所へ運ぶというシナリオがつくられていて、われわれもその通りに動いたが、市町村の機能が津波で崩壊しているところもあって、市町村が2次集積所の管理をやるというシナリオが崩れてしまっていた。1次集積所でも県がやることになっていたが未曽有の大震災で県としても人手を割けないという事情もあった。また、人はいても、みなさんは仕分け、ピッキング、配送管理など物流のプロではないので、慣れておられない。その結果、荷物があふれる状態に陥った。それに加え、〝善意の貨物〟が次々と持ち込まれ、集積所の一部ではその仕分けが全くできないという状態になった。
荷物の管理を物流面からみて輸送そのものは幹線輸送を中心に機能したが、モノの保管、仕分けなどはシナリオ通りにはいかなかった。これをどうしたらいいか、今回の震災は大きな教訓となった。緊急物資の供給については、シナリオを先に決めるのではなく、フレキシブルに対応する物流という面でとらえなくてはいけないということだ。これが関係者に問題提起した大きな教訓ではなかったかと思っている。
(2011年6月28日号)
「シナリオ通りにはいかなかった緊急支援物資の輸送」=染矢技総審
国土交通省の染矢隆一技術総括審議官・物流担当は20日、専門紙記者会と会見し、東日本大震災の物流分野の対応、救援物資輸送の状況を説明した。その中で、「緊急救援物資の輸送では1次集積所、2次集積所、避難所という流れを想定したシナリオ通りにはいかなかった」として「物流管理の手法を取り入れた体制が必要だ」などと語った。会見での発言要旨は次の通り。
《大震災における物流部門の対応=緊急支援物資の輸送》
今回、緊急支援物資についてはおそらく初めてだと思うが、国(政府)が物資を調達するという仕組みが執られた。そのもとで、国交省は輸送を請け負うという体制で行われ、基本的にはトラック輸送で、自動車交通局貨物課が全ト協に輸送協力を要請するという形で緊急支援物資の輸送を行った。毛布から始まって、食料、飲料水など、いろんな物資が被災地の避難所に運ばれた。
届けた個所(1次集積所)は2032ヵ所の集積拠点。食料品が1898万食、飲料水が460万本のほか、いろんな生活支援物資が運ばれた。政府全体の発注分に占める割合はどのくらいを占めているかを見ると、食料は72%、飲料水が58%をトラックが輸送を担当した。やはり、トラック事業者の貢献は大きかったし、トラック輸送能力の高さ、その機能の柔軟性などトラック輸送の機能がいかんなく発揮されたと思っている。特に、今回は地震と津波で物流インフラも被害を受けたが、幸い、高速道路は地震の翌日3月12日には緊急車両の通行が可能となり、元々のインフラ、緊急物資輸送路が確保され、トラックの強みが発揮できたことは大きい。その一方で燃料がなくて困ったという現象も起きた。
《緊急支援物資の集積所から避難者への末端配送では》
もうひとつの課題として浮かび上がったのが、対策の途中で表面化した支援物資が避難している方々にまで届かないということだった。被災地の集積地までの幹線部門は合理的に運ばれたが、集積地でとどこおり、末端の仕分け・ピッキング、配送が課題として指摘された。避難している方々に届かないという問題だった。この問題は、やはり、物流専門家が中に入っていなかったためそういう問題が出てきたものだ。そこで、東北運輸局に頑張ってもらって地方のトラック業者や倉庫業者、県、市、自衛隊などが間に入って調整する仕組みをつくってもらった。それ以降、うまく動くようになったと思う。
国による調達、輸送の発注は4月20日で止まっており、以後、連休前後で国が調達するという体制は終わっている。現在は、災害救助法に基づき県が調達して物資を輸送するということになっている。いずれにしても、今回の大震災ではトラック事業者が本当にうまくやっていただいたと思っている。
また、鉄道も燃料油の輸送では相当の量を運んでいる。コンテナも通運連盟が無償で運んだものが382個。海運でも様々な物資を運んでもらっている。
《燃料油の確保対策》
また、被災地への緊急物資輸送では油槽所などが被災し、トラックで運びたいが肝心の燃料がないという事態が表面化した。これは、地震と津波の両方の影響があったが、その中でも、津波の影響が大きかったと思う。東北地方で消費される油の92%は船で運ばれていた。しかし、津波の影響で太平洋側の油槽所が甚大な被害を被った。このため、東北地方の燃料油不足に影響した。太平洋側が津波でやられたので日本海側から山越えで油を運ぶため、酒田、秋田、青森にもタンカーが入って、供給するという体制で臨んだ。
元々、東北では山越えで油を運ぶというものがなかったが、事態が改善し始めたのはまず、郡山に向けて磐越線経由でJRが石油を運び、青森経由で盛岡までこれもJR貨物が運び始めて大量の燃料油が供給されるようになりある程度息をついたと思っている。抜本的に改善したのは3月21日に仙台塩釜港の航路が再開され、そこから油が入るようになったのが大きかったと思う。そこが基地になって一気に解決に向かったと思う。
今回の震災を受け改めて思ったのは、やはり燃料がなければ市民生活、産業活動が成り立たないということだ。今回も限られた油の中で緊急物資輸送として燃料輸送をしたが、これからも、こうした供給体制はきちっと皆さんの了解を得て仕組みをつくっていくことが大事だと思う。また、どこの給油所で給油できるかという情報も提供したが、一部では「あそこに行けばあるらしい」という情報が流れ、他地区の人が来て、一時混乱したということもあった。やはり情報の流し方も、これは資源エネルギー庁の管轄になるが今後の課題だろうと思う。
《物流施設の被害状況》
営業倉庫の被害も宮城県に集中した。施設の全壊が全体で56件あったが、そのうち49件が宮城県。一部損壊も全体で659件あったが、そのうち159件が宮城県の事業者の施設であった。荷崩れ被害は関東を含め広範囲にわたっており、全体で826件に達した。そうした中、宮城県の倉庫協会は県と緊急物資の輸送・保管協定を結んでいたので、被災後直ちに、自らも被災していた東邦運輸倉庫が救援物資の輸送を積極的にやってもらった。
また、東北地方に5つあった公共トラックターミナルも被災した。このうち、仙台港流通ターミナルは津波によって全壊したが、他のターミナルは大きな被害はなくあまり間をおかずに再開することができた。そうした中、壊滅的な被害を被った仙台港流通ターミナルは一部改修したばかりであったが今後どうするかの検討が必要になっている。
《大震災で再認識させられた課題と教訓》
今回の緊急支援物資の輸送では、善意の荷物が被災地の貨物集積地にたくさん到着したが、被災者のもとへ届かないという事態が指摘された。これは、的確な情報がないといけないということだ。情報をもとに、的確な仕分けなどを行うことが必要だが、それを解決する手段として、物流の専門家の活用が必要だということが再認識させられた。物流専門家には蓄積されたノウハウも豊富で、フットワークもある。物流の専門家が入って緊急物資輸送を行うのが、災害時のカギになる。
支援物資輸送についての課題としては、時間の経過とともに課題が変っていったということを強く感じた。
まず、震災が発生した直後では、交通インフラが全部やられており、被災地へ入る道路がない。燃料もないので走れない、情報網が寸断されていて地震発生後、1週間から10日間は、どこに何をどれだけ運んだらいいかということが分からないという状況だった。1週間ぐらいはモノそのものも足りなかったが、1週間後には、モノはあるがそれが避難所に届かない状態だった。
救援物資は県の1次集積所、市町村の2次集積所を経て、避難所へ運ぶというシナリオがつくられていて、われわれもその通りに動いたが、市町村の機能が津波で崩壊しているところもあって、市町村が2次集積所の管理をやるというシナリオが崩れてしまっていた。1次集積所でも県がやることになっていたが未曽有の大震災で県としても人手を割けないという事情もあった。また、人はいても、みなさんは仕分け、ピッキング、配送管理など物流のプロではないので、慣れておられない。その結果、荷物があふれる状態に陥った。それに加え、〝善意の貨物〟が次々と持ち込まれ、集積所の一部ではその仕分けが全くできないという状態になった。
荷物の管理を物流面からみて輸送そのものは幹線輸送を中心に機能したが、モノの保管、仕分けなどはシナリオ通りにはいかなかった。これをどうしたらいいか、今回の震災は大きな教訓となった。緊急物資の供給については、シナリオを先に決めるのではなく、フレキシブルに対応する物流という面でとらえなくてはいけないということだ。これが関係者に問題提起した大きな教訓ではなかったかと思っている。
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