日経ビジネスオンライン
なぜ、アメリカやEUのように「直接支払い」に移行できないのか?
「自由貿易」と併用して消費者利益と農業保護の両立を
山下 一仁
農政は、778%という異常に高い税率の関税を米にかけるなどして、国内農産物市場を外国産農産物から守ってきた。にもかかわらず、農業が衰退してきたということは、その原因がアメリカやオーストラリアなどの海外にではなく国内にあることを意味している。TPPに参加する、しないにかかわらず、現在の政策では農業の衰退をとめることはできない。
高い関税で国内の農産物市場を守っても、市場は高齢化・人口減少で、どんどん縮小していく。日本農業を維持・振興していくためには、海外の市場に関税撤廃などを求め、環太平洋経済連携協定(TPP)などの貿易自由化交渉に積極的に参加していく必要がある。高齢化・人口減少時代において、米中心、それも供給制限による価格支持を中心としてきた今までの農政では、日本の農業に課せられた役割――食料安全保障、洪水防止や水資源の涵養などの農業の多面的機能の維持――を果たせない。
日本の農政は、アメリカやEUなど世界の農政の潮流から、20年以上遅れている。アメリカやEUが農業保護を「納税者負担」に移行させているのに対して、日本はいまだに「消費者負担」に依存しているからだ。
OECD(経済協力開発機構)が開発したPSE(生産者支持推定量)という農業保護の指標は、「納税者負担」と「消費者負担」の部分から成る。「納税者負担」は財政負担によって農家の所得を維持している部分。「消費者負担」は、消費者が安い国際価格ではなく、高い国内価格を受け入れることで農家に所得移転している部分だ。国内価格と国際価格との差(内外価格差)に生産量を乗じて算出する。
アメリカやEUの農業保護は納税者負担に移行
各国のPSEの内訳を見ると、アメリカやEUにおいて消費者負担の割合は減少する傾向にある。ウルグアイ・ラウンド交渉で基準年とされた 1986~88年の値はアメリカで37%、EUで86%。これに対して2009年の数値は、アメリカが15%、EUが24%となっている。日本は90%が 84%になっただけで、20年間変化はない。
次の表に示すように、アメリカやEUにおける農業保護は、「価格支持」(消費者負担への依存)――関税を課すことで高い国内価格を維持すること ――から財政による「直接支払い」(納税者負担への依存)――農家に対して補助金を払うことで農家の所得を維持すること――に移行しているのだ。にもかかわらず、日本の農業保護は依然として価格支持中心である。国内価格が国際価格を大きく上回るため、高関税が必要となる。
表 日・米・EUの政策比較
項目 国 日本 アメリカ EU
生産と関連しない直接支払い × ○ ○
環境直接支払い △(限定した農地) ○ ○
条件不利地域直接支払い ○ × ○
減反による価格支持+直接支払い(戸別所得補償政策) ● × ×
1000%以上の関税 こんにゃくいも なし なし
500―1000%の関税 コメ、落花生、でんぷん なし なし
200―500%の関税 小麦、大麦、バター、脱脂粉乳、豚肉、砂糖、雑豆、生糸 なし バター、砂糖
(改革により100%以下に引下げ可能)
『価格支持』を取る国において、消費者は、この内外価格差に相当する負担を行っていると認識して、農産物を購入しているわけではない。これに対し「財政負担」の政策は、負担額が国民の前に明らかになる。透明性が高いのだ。
また、「消費者負担」による価格支持は、豊かな消費者にも貧しい消費者にも農業保護のコストを等しく負担させる逆進的なものである。しかし、「財政負担」ならば、累進課税制度の下で裕福な者に多く負担させることができる。この意味で公平なものである。
財政負担の導入で消費者利益が増大
消費者は、関税や課徴金が課されている外国産農産物に対しても内外価格差部分を負担している。小麦の場合、消費者は、消費量の1割を占める国産小麦に負担している内外価格差分と同等の負担を、9割を占める外国産小麦についても負担している。
国産農産物についての消費者負担を財政負担に置き換えると、外国産農産物に対する負担は自動的に消滅する。食料品価格は低下し、消費者は大きなメリットを受ける。つまり、国民経済全体への負担を財政負担型の政策に転換することで消費者への負担を大きく減少させることができるわけだ。これは東日本大震災やリストラなどで所得が低下し生活に困っている人たちにとって朗報だ。
自由貿易と直接支払いで消費者の利益と農業の保護を両立できる
価格支持はすべての農家に広く薄く効果が及ぶのに対し、直接支払いは、受益の対象を真に政策支援が必要な農業者に限定することができる。このように対象を限定することによって、農業保護コストを、従来の消費者負担額より少ない額で財政負担に置き換えることが可能となる。
加えて、主業農家への保護政策を集中することによって、零細な農家が退出し、農地が主業農家に集まるようになる。農家の規模拡大によってコスト・ダウンが達成できれば、必要な財政負担をさらに圧縮することが可能となる。
自由貿易を進めるだけでは、消費者の利益は増えるが、農業の国内生産は減少し、食料安全保障や多面的機能の効果も低下する。関税では、国内生産は維持できるが、消費者の利益は損なわれる。自由貿易によって国内価格を引き下げると同時に農家への直接支払いによって国内生産を維持すれば、消費者の利益を増加させるとともに、食料安全保障や多面的機能を実現することができる。OECDや経済学者が、「直接支払いは関税や価格支持に勝る政策である」と主張するのはこのためである。
アメリカもEUも直接支払いによって、国際市場で競争している。適切な直接支払いを導入すれば、TPPを推進しても、国内農業は潰れないどころか、海外市場に向かって大いに発展する可能性がある。
なぜEUでは農政改革が進み、日本では進まないのか
EUは加盟国が27カ国に上り、合意形成は相当困難なはずなのに、価格支持から直接支払いへという改革を着実に実施している。なぜEUでは農政改革が進み、日本では進まないのだろうか。
日本の農協の収益が高い農産物価格とリンクしていることが原因だ。
農業の政治団体はEUにもある。しかし、価格に固執する圧力団体はEUには存在しない。関税撤廃で国内農産物価格が下がっても、直接支払いで補てんされるため、農家は困らないからだ。日本の場合、価格が下がると、農協の販売手数料が低下する。
自民党政権時代は、米価が下がると政府は市場から米を買い入れて米価を戻してきた。民主党政権になってから、農協の度重なる要請にもかかわらず、赤松広隆、山田正彦の2大臣は米の政府買入れを拒否してきた。農家保証価格と市場価格の差を補てんする戸別所得補償を導入したので、農家は困らないからだ。
小沢一郎氏や彼に近い赤松、山田両大臣は、戸別所得補償を導入することで農家と農協の間に楔(くさび)を打ち込み、自民党と二人三脚で発展してきた農協の力をそごうとしたのだろう。小沢氏は、農協に補助金を与えて農民票を組織させるという間接的なやり方に代え、戸別所得補償で農家票を直接捕えようとしたと考えられる。
しかし、改革は簡単には進まない。農協の機関紙である「日本農業新聞」を通じた、農家に対する影響力は依然として強力である。
また、保護の対象とする農家を減らして構造改革を進めようという考え方には、農家票のうち圧倒的多数を占める兼業農家の票を意識した民主党議員に強い抵抗がある。小選挙区制の悪い効果である。仮に農家票が1%程度にすぎなくても、それが対立候補に流れると2%の差が生じる。2人で1議席を争っている時、得票率50%対50%が49%対51%に変化してしまう。これを挽回するのは容易ではない。従って、直接支払いは認めても、バラマキは止められない。農業の構造改革が進まないので、輸入価格の低下につながる貿易自由化交渉を進めようという頭にはなかなかなれない。
なぜ、アメリカやEUのように「直接支払い」に移行できないのか?
「自由貿易」と併用して消費者利益と農業保護の両立を
山下 一仁
農政は、778%という異常に高い税率の関税を米にかけるなどして、国内農産物市場を外国産農産物から守ってきた。にもかかわらず、農業が衰退してきたということは、その原因がアメリカやオーストラリアなどの海外にではなく国内にあることを意味している。TPPに参加する、しないにかかわらず、現在の政策では農業の衰退をとめることはできない。
高い関税で国内の農産物市場を守っても、市場は高齢化・人口減少で、どんどん縮小していく。日本農業を維持・振興していくためには、海外の市場に関税撤廃などを求め、環太平洋経済連携協定(TPP)などの貿易自由化交渉に積極的に参加していく必要がある。高齢化・人口減少時代において、米中心、それも供給制限による価格支持を中心としてきた今までの農政では、日本の農業に課せられた役割――食料安全保障、洪水防止や水資源の涵養などの農業の多面的機能の維持――を果たせない。
日本の農政は、アメリカやEUなど世界の農政の潮流から、20年以上遅れている。アメリカやEUが農業保護を「納税者負担」に移行させているのに対して、日本はいまだに「消費者負担」に依存しているからだ。
OECD(経済協力開発機構)が開発したPSE(生産者支持推定量)という農業保護の指標は、「納税者負担」と「消費者負担」の部分から成る。「納税者負担」は財政負担によって農家の所得を維持している部分。「消費者負担」は、消費者が安い国際価格ではなく、高い国内価格を受け入れることで農家に所得移転している部分だ。国内価格と国際価格との差(内外価格差)に生産量を乗じて算出する。
アメリカやEUの農業保護は納税者負担に移行
各国のPSEの内訳を見ると、アメリカやEUにおいて消費者負担の割合は減少する傾向にある。ウルグアイ・ラウンド交渉で基準年とされた 1986~88年の値はアメリカで37%、EUで86%。これに対して2009年の数値は、アメリカが15%、EUが24%となっている。日本は90%が 84%になっただけで、20年間変化はない。
次の表に示すように、アメリカやEUにおける農業保護は、「価格支持」(消費者負担への依存)――関税を課すことで高い国内価格を維持すること ――から財政による「直接支払い」(納税者負担への依存)――農家に対して補助金を払うことで農家の所得を維持すること――に移行しているのだ。にもかかわらず、日本の農業保護は依然として価格支持中心である。国内価格が国際価格を大きく上回るため、高関税が必要となる。
表 日・米・EUの政策比較
項目 国 日本 アメリカ EU
生産と関連しない直接支払い × ○ ○
環境直接支払い △(限定した農地) ○ ○
条件不利地域直接支払い ○ × ○
減反による価格支持+直接支払い(戸別所得補償政策) ● × ×
1000%以上の関税 こんにゃくいも なし なし
500―1000%の関税 コメ、落花生、でんぷん なし なし
200―500%の関税 小麦、大麦、バター、脱脂粉乳、豚肉、砂糖、雑豆、生糸 なし バター、砂糖
(改革により100%以下に引下げ可能)
『価格支持』を取る国において、消費者は、この内外価格差に相当する負担を行っていると認識して、農産物を購入しているわけではない。これに対し「財政負担」の政策は、負担額が国民の前に明らかになる。透明性が高いのだ。
また、「消費者負担」による価格支持は、豊かな消費者にも貧しい消費者にも農業保護のコストを等しく負担させる逆進的なものである。しかし、「財政負担」ならば、累進課税制度の下で裕福な者に多く負担させることができる。この意味で公平なものである。
財政負担の導入で消費者利益が増大
消費者は、関税や課徴金が課されている外国産農産物に対しても内外価格差部分を負担している。小麦の場合、消費者は、消費量の1割を占める国産小麦に負担している内外価格差分と同等の負担を、9割を占める外国産小麦についても負担している。
国産農産物についての消費者負担を財政負担に置き換えると、外国産農産物に対する負担は自動的に消滅する。食料品価格は低下し、消費者は大きなメリットを受ける。つまり、国民経済全体への負担を財政負担型の政策に転換することで消費者への負担を大きく減少させることができるわけだ。これは東日本大震災やリストラなどで所得が低下し生活に困っている人たちにとって朗報だ。
自由貿易と直接支払いで消費者の利益と農業の保護を両立できる
価格支持はすべての農家に広く薄く効果が及ぶのに対し、直接支払いは、受益の対象を真に政策支援が必要な農業者に限定することができる。このように対象を限定することによって、農業保護コストを、従来の消費者負担額より少ない額で財政負担に置き換えることが可能となる。
加えて、主業農家への保護政策を集中することによって、零細な農家が退出し、農地が主業農家に集まるようになる。農家の規模拡大によってコスト・ダウンが達成できれば、必要な財政負担をさらに圧縮することが可能となる。
自由貿易を進めるだけでは、消費者の利益は増えるが、農業の国内生産は減少し、食料安全保障や多面的機能の効果も低下する。関税では、国内生産は維持できるが、消費者の利益は損なわれる。自由貿易によって国内価格を引き下げると同時に農家への直接支払いによって国内生産を維持すれば、消費者の利益を増加させるとともに、食料安全保障や多面的機能を実現することができる。OECDや経済学者が、「直接支払いは関税や価格支持に勝る政策である」と主張するのはこのためである。
アメリカもEUも直接支払いによって、国際市場で競争している。適切な直接支払いを導入すれば、TPPを推進しても、国内農業は潰れないどころか、海外市場に向かって大いに発展する可能性がある。
なぜEUでは農政改革が進み、日本では進まないのか
EUは加盟国が27カ国に上り、合意形成は相当困難なはずなのに、価格支持から直接支払いへという改革を着実に実施している。なぜEUでは農政改革が進み、日本では進まないのだろうか。
日本の農協の収益が高い農産物価格とリンクしていることが原因だ。
農業の政治団体はEUにもある。しかし、価格に固執する圧力団体はEUには存在しない。関税撤廃で国内農産物価格が下がっても、直接支払いで補てんされるため、農家は困らないからだ。日本の場合、価格が下がると、農協の販売手数料が低下する。
自民党政権時代は、米価が下がると政府は市場から米を買い入れて米価を戻してきた。民主党政権になってから、農協の度重なる要請にもかかわらず、赤松広隆、山田正彦の2大臣は米の政府買入れを拒否してきた。農家保証価格と市場価格の差を補てんする戸別所得補償を導入したので、農家は困らないからだ。
小沢一郎氏や彼に近い赤松、山田両大臣は、戸別所得補償を導入することで農家と農協の間に楔(くさび)を打ち込み、自民党と二人三脚で発展してきた農協の力をそごうとしたのだろう。小沢氏は、農協に補助金を与えて農民票を組織させるという間接的なやり方に代え、戸別所得補償で農家票を直接捕えようとしたと考えられる。
しかし、改革は簡単には進まない。農協の機関紙である「日本農業新聞」を通じた、農家に対する影響力は依然として強力である。
また、保護の対象とする農家を減らして構造改革を進めようという考え方には、農家票のうち圧倒的多数を占める兼業農家の票を意識した民主党議員に強い抵抗がある。小選挙区制の悪い効果である。仮に農家票が1%程度にすぎなくても、それが対立候補に流れると2%の差が生じる。2人で1議席を争っている時、得票率50%対50%が49%対51%に変化してしまう。これを挽回するのは容易ではない。従って、直接支払いは認めても、バラマキは止められない。農業の構造改革が進まないので、輸入価格の低下につながる貿易自由化交渉を進めようという頭にはなかなかなれない。
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